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第1章 センター構想から仮オープンまで |
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そこで今まで世話になった英会話サークルの生徒が中心になって、早速AIS (朝霞インターナショナルソサイティ)というサークルを作ることになった。日本語を教えながら、日本の文化を外国人に知らせ、互いに交流を図ることを目的としたサークルである。 このサークルの開設時から参加していた大井町の一人の主婦は、この組織を是非地元大井町にも作りたいと思い、その考えを公民館に伝えた。 |
公民館を借りて週3回、大井町日本語クラスを続けていくうちに石井は、24時間・365日、外国人と日本人が交流し触れ合える場所が必要だと思うようになった。在日外国人の6割は一人暮らしであること、親の都合で日本に来た子どもの大半が学校の授業についていくのが大変なこと、日本人男性と結婚した外国人妻の就職が困難なこと、夫から虐待されている人の多いことなどを目のあたりにしてきたからだ。そんな彼らが自由に集え、いざというときの駆け込み寺があったらいいなと思った。 |
1996年1月から3月にかけて、2市2町(富士見市、上福岡市、大井町、三芳町)の公民館と(財)埼玉県民活動センターの共催で、「アジアと日本を考える講座」が6回にわたり開かれた。その4回目に野元が講師として招かれ、この企画に全面的に協力した大井町の日本語クラスのスタッフや地域の国際交流に関心のある人たちと初めての出会いの場となった。 同年夏ごろ、野元より石井に「あなたの実家が空き家と聞いた。書庫代わり貸してもらえないか」との電話があり、その後何度か電話のやり取りがあり、お互いに外国人と日本人との交流拠点の必要性を考えていることが分かった。 |
4月5日「地域国際交流センター設立を考える会」の第1回会合を行った。当日,国際交流に関心のある上福岡・大井・三芳・富士見の2市2町に住む16人が集まった。野元から設立準備会の発足について提案があり、話し合いが行われた。参加者の大半が長年、公民館を中心に日本語ボランティアをしていた人で、外国人と深く付き合う中で交流センターの必要性を以前から痛切に感じていた。少し条件が整えばこの提案は実現できると感じた。
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4月12日「設立を考える会」から「設立準備会」と改称し、代表に野元、事務局長に石井、会計に青木和雄を選任した。当日はまず情報誌の発行について話し合いを行った。
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たくさんの夢と可能性の詰まったこの構想を実現させるために毎週土曜日に集まって話し合うことが決まった。 4月26日、野元の指導で多言語情報紙「インフォメーション草加」を発行しているグループの編集者を招き、ヒアリングを行った。5月24日第1回の編集会議を開き、「インフォメーションふじみの」の初代編集長に阿澄一昌が選任された。 6月10日付読売新聞に「ふじみの国際交流センター」設立準備会代表の野元が紹介されている。
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7月1日「インフォメーションふじみの・プレ創刊号・くらしの情報」を発行し、近隣の公民館・役所等の窓口に置いてもらった。 7月12日「ふじみの国際交流センター」仮オープン。 ![]() 石井の日記は当日の感激を次のように綴っている。
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