Top日本語Top5年間の軌跡第1章 サイトマップ

第1章
センター構想から仮オープンまで

●起源
 1988年、朝霞市の英語教室の先生が、急に日本のことを知りたいと言い出した。長い間日本で暮らしていながら、ニュージーランドへ帰らなければならないと決まった瞬間、日本について何も知らなかったことを後悔したのだろう。
 そこで今まで世話になった英会話サークルの生徒が中心になって、早速AIS (朝霞インターナショナルソサイティ)というサークルを作ることになった。日本語を教えながら、日本の文化を外国人に知らせ、互いに交流を図ることを目的としたサークルである。
 このサークルの開設時から参加していた大井町の一人の主婦は、この組織を是非地元大井町にも作りたいと思い、その考えを公民館に伝えた。

●大井日本語クラスの開設
 3年後の1991年3月大井町の中央公民館にロシア語講座があることを知った3人の外国人が、それなら当然日本語講座もあるだろうと訪ねてきた。すぐ職員はその主婦(現ふじみの国際交流センター理事長の石井ナナヱ、以下石井と略称)に伝えた。石井は早速翌週から日本語クラスを開設することにし、公民館利用団体のひとつである英会話サークルの人に協力をお願いした。
 公民館を借りて週3回、大井町日本語クラスを続けていくうちに石井は、24時間・365日、外国人と日本人が交流し触れ合える場所が必要だと思うようになった。在日外国人の6割は一人暮らしであること、親の都合で日本に来た子どもの大半が学校の授業についていくのが大変なこと、日本人男性と結婚した外国人妻の就職が困難なこと、夫から虐待されている人の多いことなどを目のあたりにしてきたからだ。そんな彼らが自由に集え、いざというときの駆け込み寺があったらいいなと思った。

●拠点構想
 1980年代後半、渡日外国人の増加に対応して日本語学校の新設も相次いだが、1990年以降、バブルの崩壊とともに生徒数の減少で廃校も進んだ。それに代って各地にボランティアによる日本語教室が新設された。埼玉大学の野元弘幸助教授(以下野元と略称)は県内の日本語クラスのネットワークを作ることを計画していた。1995年8月、石井は社全協の全国大会で大井町公民館職員の沼田伊久俊氏の紹介で野元と会い、その縁で埼玉日本語ネットワークの結成を手伝うことになった。
 1996年1月から3月にかけて、2市2町(富士見市、上福岡市、大井町、三芳町)の公民館と(財)埼玉県民活動センターの共催で、「アジアと日本を考える講座」が6回にわたり開かれた。その4回目に野元が講師として招かれ、この企画に全面的に協力した大井町の日本語クラスのスタッフや地域の国際交流に関心のある人たちと初めての出会いの場となった。
 同年夏ごろ、野元より石井に「あなたの実家が空き家と聞いた。書庫代わり貸してもらえないか」との電話があり、その後何度か電話のやり取りがあり、お互いに外国人と日本人との交流拠点の必要性を考えていることが分かった。

●拠点設立準備会の結成
 1997年1月、石井と野元は外国人との交流の拠点設立について意気投合し、呼びかけのチラシを作り、2市2町の公民館を通じて拠点作りを広く呼びかけた。
4月5日「地域国際交流センター設立を考える会」の第1回会合を行った。当日,国際交流に関心のある上福岡・大井・三芳・富士見の2市2町に住む16人が集まった。野元から設立準備会の発足について提案があり、話し合いが行われた。参加者の大半が長年、公民館を中心に日本語ボランティアをしていた人で、外国人と深く付き合う中で交流センターの必要性を以前から痛切に感じていた。少し条件が整えばこの提案は実現できると感じた。

いっしょに地域国際交流センターを作りませんか?
地域国際交流センター設立を考える会(第1回)
こんな活動できたらいいなーと考えています。皆さんの力を貸して下さい。
地域国際協力ボランティア養成講座、子どものための母語教室・国際学級、多言語による生活情報提供、外国人妻のための技術・技能研修、一時仮宿泊施設・多言語FM局の開設、災害救援国際ボランティアグループ結成、国際図書館の開設
日 時:1997年4月5日(土)
場 所:大井町中央公民館
内 容:(1)センター設立構想について
    (2)設立準備会の発足
呼びかけ人 野元博幸(埼玉大学)・石井ナナヱ(大井町 日本語教室)(TEL/FAX0492-**-****)

(レジュメ)    1997年4月5日
地域国際交流センター設立を考える会(第1回)
1.あいさつ 2.自己紹介
3.地域国交流センター設立に関する構想
4.地域国際交流センター設立準備会の発足
●活動内容 センター設置場所の検討、会則の作成、  多言語スタッフ集め、広報・宣伝
●組織 代表、事務局員
●運営 設立準備会:原則として毎週土曜日
 AM10:00〜12:00、事務局会議:必要に応じて
●次回:4月12日

 4月12日「設立を考える会」から「設立準備会」と改称し、代表に野元、事務局長に石井、会計に青木和雄を選任した。当日はまず情報誌の発行について話し合いを行った。

●代表:野元弘幸、事務局長:石井ナナヱ
●委員:西山正浩・沼田伊久俊・青木和雄・阿澄一昌・阿澄康子・大澤千穂子・新井節・石橋茂三(大井町)、庄子一雄・渋谷長信・中谷妙子・宮内敏子・柏村麻利子(上福岡市)、樋口清作・馬場茂・梶加寿子・(三芳町)、山本兼三・岩本佳子・梶祐規郎(富士見市)、大木慎吾(浦和市)、富永幸子(大宮市)、山田和也・金子学(上福岡市公民館)、伊勢亀邦雄・石子正明・伊東正男(三芳町公民館)、外澤千清・高橋昌子・伊藤真弓・市川信男(富士見市公民館、考古館)高橋智子(大井町)、野崎恵子(上福岡市)、宮川めぐみ(東京都)、河原淳子(浦和市)、田中紀子(上福岡市)

 たくさんの夢と可能性の詰まったこの構想を実現させるために毎週土曜日に集まって話し合うことが決まった。
 4月26日、野元の指導で多言語情報紙「インフォメーション草加」を発行しているグループの編集者を招き、ヒアリングを行った。5月24日第1回の編集会議を開き、「インフォメーションふじみの」の初代編集長に阿澄一昌が選任された。

 6月10日付読売新聞に「ふじみの国際交流センター」設立準備会代表の野元が紹介されている。

この人と “悩む外国人支え 異文化豊かな町に”
「国際化の拠点を作り、交流の芽を育てたい」今年4月。上福岡、富士見市、大井、三芳町の2市2町に住む約1800人の外国人の受け皿として県内で初めての「国際交流センター」を設立しようと準備会が旗揚げされた。きっかけは、この地域で開催された外国人のための日本語学級で講演したことから。日本の社会になじめないで悩んでいる外国人の生の声に接した。「仕事がない、ホームシックになった、結婚、離婚、子どもの教育問題などさまざまな訴えがあった。言葉の壁もあって、外国人が日常生活の中で抱えるトラブルや、市政への要望などについては、十分理解されていないと実感しました」
「なぜ、そんなに苦労してまでと聞かれますが、やはり楽しいから。外国人は、異文化をもたらし地域を豊かにする宝なんです」

 7月1日「インフォメーションふじみの・プレ創刊号・くらしの情報」を発行し、近隣の公民館・役所等の窓口に置いてもらった。

 7月12日「ふじみの国際交流センター」仮オープン。

 石井の日記は当日の感激を次のように綴っている。

≪7月12日≫
 長い間夢に見ていた『ふじみの国際交流センター』への入居。東京都から無償で譲り受け、実家に預けておいた、おびただしい数の中古の事務机などを運び込む。
 センター代表の野元先生・埼玉大学生・ボランティア仲間が揃って大仕事。床を掃いたり、拭いたり、カーペットを敷いたり、いくら手があっても足りないが、汗まみれのどの顔もほころんでいる。
 外国人と日本人が、いつでも自由に集える交流センターを作りたいと東奔西走した日々。土曜日ごとに準備会を開いては、意見を言い、知恵を出しあって、資金繰りや仲間集めについて考えた。
 みんなのそんな熱い思いが天に届いたのか、家主さんの好意で、格安で、格好の家を借りることができた。上福岡市西一丁目四番地。110坪、2階建の一軒家である。車が3台置ける駐車場と、夏みかんや柿の木が生い茂った裏庭がある。
 大井町中央公民館で、日本語クラスを始めて7年。事務所開設にかけた思い。これで一気に心のひだに住み着いた、もろもろの懸念が解消できる。喜びを抑えきれない。
 日本人の夫から離婚を盾に虐待され苦しんでいる外国人妻との出会い。彼女たちのために、駆け込み寺的な宿泊施設を作りたいと思うようになったのが、きっかけだった。彼女たちは、生活の安定と生きがいを求めて、技術や、資格を身に付けたいと願っていること。職業研修所も欲しい。
 在日外国人の7割が一人暮らしで、とてもさびしがっており、心のふるさとを作りたいということも、避難所を目指す一軒家の確保に情熱を注ぐ一因ともなった。
 渡日子弟の教育問題も見過ごせない。渡日の小中学生の大半が、日本語による授業を十分理解できない。その補習ができる拠点と人材が、必要不可欠である。
 こうした思いは、ただ単に外国人を甘やかせたり同情するのでなく彼ら一人ひとりが自分の存在価値を認め、自信をもち、自立する為のサポートであると考えている。
 日本人に泣かされる外国人妻を、これ以上増やしてはいけないし、外国人による犯罪がこれ以上起こってもいけないし、起こさせないだろう。夢を持ち渡日した隣人を反日にしてはならない。
 そのために、日本人も外国人も心を開いて話し合うことが先決で、そのための出会いの場所であり、交流の場が必要なのだ。
 一時は誇大妄想かもしれないと、自分自身を笑ったこともあったが、大勢の仲間の協力を得て、今日こうして国際交流センターを設立することができた。何もかも幸せに思えて、周りの人々と目に入る全ての物に心から感謝する気持ちでいっぱいになった。

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