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設立の経緯

1996年2市2町(富士見市、上福岡市、大井町、三芳町)の公民館と日本語教室・埼玉県の共催で、「アジアと日本を考える講座」が6回にわたり開かれました。これが、その時講師として招かれた埼玉大学の野元弘幸助教授、この企画に全面的に協力した大井町日本語クラスの石井ナナエ、地域の国際交流に関心のある人たちとの初めての出会いの場となりました。

1997年1月、石井と野元は外国人との交流の拠点設立について意気投合し、呼びかけのチラシを作り、2市2町の公民館を通じて拠点作りを広く呼びかけました。

4月「地域国際交流センター設立を考える会」の第1回会合に、以前から国際交流に関心があり、公民館を中心に日本語ボランティアをしていた人で、外国人と深く付き合う中で交流センターの必要性を感じていた2市2町に住む16人が集まり、「ふじみの国際交流センター設立準備会」を結成しました。

同年7月にセンターが仮オープンし、多言語情報誌「インフォメーションふじみの」の発行、交流の場「チャタ―ボックス」の開催、「国際子どもクラブ」の発足、等活動も軌道に乗ってきました。賛同者の数も100名の大台にのり、外国人からの期待も大きくなってきたため、任意団体として発足しました。

その後、センターの活動は外国籍の人たちへの技能研修「ソーイングクラブ」「パソコン教室」、日本語・韓国語・中国語等の語学教室、学校での取り出し授業支援等、その活動範囲は着実に広がってきました。

更に悩み事・生活相談は昼といわず、夜といわず頻繁にセンターに持ち込まれ、また、外国籍の人たちが仮宿泊施設としてセンターを利用するケースも多く、その存在が大変重要視されるようになってきました。

そこで、2000年(平成12年)1月、私たちはこの地域における国際協力活動を更に充実・発展させるために、特定非営利活動法人ふじみの国際交流センターとして組織しました。

第1章 センター構想から仮オープンまで

起源

1988年、朝霞市の英語教室の先生が、急に日本のことを知りたいと言い出した。長い間日本で暮らしていながら、ニュージーランドへ帰らなければならないと決まった瞬間、日本について何も知らなかったことを後悔したのだろう。
 そこで今まで世話になった英会話サークルの生徒が中心になって、早速AIS (朝霞インターナショナルソサイティ)というサークルを作ることになった。日本語を教えながら、日本の文化を外国人に知らせ、互いに交流を図ることを目的としたサークルである。
 このサークルの開設時から参加していた大井町の一人の主婦は、この組織を是非地元大井町にも作りたいと思い、その考えを公民館に伝えた。

大井日本語クラスの開設

 3年後の1991年3月大井町の中央公民館にロシア語講座があることを知った3人の外国人が、それなら当然日本語講座もあるだろうと訪ねてきた。すぐ職員はその主婦(現ふじみの国際交流センター理事長の石井ナナヱ、以下石井と略称)に伝えた。石井は早速翌週から日本語クラスを開設することにし、公民館利用団体のひとつである英会話サークルの人に協力をお願いした。
 公民館を借りて週3回、大井町日本語クラスを続けていくうちに石井は、24時間・365日、外国人と日本人が交流し触れ合える場所が必要だと思うようになった。在日外国人の6割は一人暮らしであること、親の都合で日本に来た子どもの大半が学校の授業についていくのが大変なこと、日本人男性と結婚した外国人妻の就職が困難なこと、夫から虐待されている人の多いことなどを目のあたりにしてきたからだ。そんな彼らが自由に集え、いざというときの駆け込み寺があったらいいなと思った。

拠点構想

1980年代後半、渡日外国人の増加に対応して日本語学校の新設も相次いだが、1990年以降、バブルの崩壊とともに生徒数の減少で廃校も進んだ。それに代って各地にボランティアによる日本語教室が新設された。埼玉大学の野元弘幸助教授(以下野元と略称)は県内の日本語クラスのネットワークを作ることを計画していた。1995年8月、石井は社全協の全国大会で大井町公民館職員の沼田伊久俊氏の紹介で野元と会い、その縁で埼玉日本語ネットワークの結成を手伝うことになった。
 1996年1月から3月にかけて、2市2町(富士見市、上福岡市、大井町、三芳町)の公民館と(財)埼玉県民活動センターの共催で、「アジアと日本を考える講座」が6回にわたり開かれた。その4回目に野元が講師として招かれ、この企画に全面的に協力した大井町の日本語クラスのスタッフや地域の国際交流に関心のある人たちと初めての出会いの場となった。
 同年夏ごろ、野元より石井に「あなたの実家が空き家と聞いた。書庫代わり貸してもらえないか」との電話があり、その後何度か電話のやり取りがあり、お互いに外国人と日本人との交流拠点の必要性を考えていることが分かった。

拠点設立準備会の結成

 1997年1月、石井と野元は外国人との交流の拠点設立について意気投合し、呼びかけのチラシを作り、2市2町の公民館を通じて拠点作りを広く呼びかけた。
4月5日「地域国際交流センター設立を考える会」の第1回会合を行った。当日,国際交流に関心のある上福岡・大井・三芳・富士見の2市2町に住む16人が集まった。野元から設立準備会の発足について提案があり、話し合いが行われた。参加者の大半が長年、公民館を中心に日本語ボランティアをしていた人で、外国人と深く付き合う中で交流センターの必要性を以前から痛切に感じていた。少し条件が整えばこの提案は実現できると感じた。

いっしょに地域国際交流センターを作りませんか?
地域国際交流センター設立を考える会(第1回)
こんな活動できたらいいなーと考えています。皆さんの力を貸して下さい。
地域国際協力ボランティア養成講座、子どものための母語教室・国際学級、多言語による生活情報提供、外国人妻のための技術・技能研修、一時仮宿泊施設・多言語FM局の開設、災害救援国際ボランティアグループ結成、国際図書館の開設
日 時:1997年4月5日(土)
場 所:大井町中央公民館
内 容:(1)センター設立構想について
    (2)設立準備会の発足
呼びかけ人 野元博幸(埼玉大学)・石井ナナヱ(大井町 日本語教室)(TEL/FAX0492-**-****)

(レジュメ)    1997年4月5日
地域国際交流センター設立を考える会(第1回)
1.あいさつ 2.自己紹介
3.地域国交流センター設立に関する構想
4.地域国際交流センター設立準備会の発足
●活動内容 センター設置場所の検討、会則の作成、  多言語スタッフ集め、広報・宣伝
●組織 代表、事務局員
●運営 設立準備会:原則として毎週土曜日
 AM10:00~12:00、事務局会議:必要に応じて
●次回:4月12日

4月12日「設立を考える会」から「設立準備会」と改称し、代表に野元、事務局長に石井、会計に青木和雄を選任した。当日はまず情報誌の発行について話し合いを行った。

●代表:野元弘幸、事務局長:石井ナナヱ
●委員:西山正浩・沼田伊久俊・青木和雄・阿澄一昌・阿澄康子・大澤千穂子・新井節・石橋茂三(大井町)、庄子一雄・渋谷長信・中谷妙子・宮内敏子・柏村麻利子(上福岡市)、樋口清作・馬場茂・梶加寿子・(三芳町)、山本兼三・岩本佳子・梶祐規郎(富士見市)、大木慎吾(浦和市)、富永幸子(大宮市)、山田和也・金子学(上福岡市公民館)、伊勢亀邦雄・石子正明・伊東正男(三芳町公民館)、外澤千清・高橋昌子・伊藤真弓・市川信男(富士見市公民館、考古館)高橋智子(大井町)、野崎恵子(上福岡市)、宮川めぐみ(東京都)、河原淳子(浦和市)、田中紀子(上福岡市)

たくさんの夢と可能性の詰まったこの構想を実現させるために毎週土曜日に集まって話し合うことが決まった。4月26日、野元の指導で多言語情報紙「インフォメーション草加」を発行しているグループの編集者を招き、ヒアリングを行った。5月24日第1回の編集会議を開き、「インフォメーションふじみの」の初代編集長に阿澄一昌が選任された。6月10日付読売新聞に「ふじみの国際交流センター」設立準備会代表の野元が紹介されている。

この人と “悩む外国人支え 異文化豊かな町に”
「国際化の拠点を作り、交流の芽を育てたい」今年4月。上福岡、富士見市、大井、三芳町の2市2町に住む約1800人の外国人の受け皿として県内で初めての「国際交流センター」を設立しようと準備会が旗揚げされた。きっかけは、この地域で開催された外国人のための日本語学級で講演したことから。日本の社会になじめないで悩んでいる外国人の生の声に接した。「仕事がない、ホームシックになった、結婚、離婚、子どもの教育問題などさまざまな訴えがあった。言葉の壁もあって、外国人が日常生活の中で抱えるトラブルや、市政への要望などについては、十分理解されていないと実感しました」
「なぜ、そんなに苦労してまでと聞かれますが、やはり楽しいから。外国人は、異文化をもたらし地域を豊かにする宝なんです」

7月1日「インフォメーションふじみの・プレ創刊号・くらしの情報」を発行し、近隣の公民館・役所等の窓口に置いてもらった。7月12日「ふじみの国際交流センター」仮オープン。石井の日記は当日の感激を次のように綴っている。

7月12日
 長い間夢に見ていた『ふじみの国際交流センター』への入居。東京都から無償で譲り受け、実家に預けておいた、おびただしい数の中古の事務机などを運び込む。
 センター代表の野元先生・埼玉大学生・ボランティア仲間が揃って大仕事。床を掃いたり、拭いたり、カーペットを敷いたり、いくら手があっても足りないが、汗まみれのどの顔もほころんでいる。
 外国人と日本人が、いつでも自由に集える交流センターを作りたいと東奔西走した日々。土曜日ごとに準備会を開いては、意見を言い、知恵を出しあって、資金繰りや仲間集めについて考えた。
 みんなのそんな熱い思いが天に届いたのか、家主さんの好意で、格安で、格好の家を借りることができた。上福岡市西一丁目四番地。110坪、2階建の一軒家である。車が3台置ける駐車場と、夏みかんや柿の木が生い茂った裏庭がある。
 大井町中央公民館で、日本語クラスを始めて7年。事務所開設にかけた思い。これで一気に心のひだに住み着いた、もろもろの懸念が解消できる。喜びを抑えきれない。
 日本人の夫から離婚を盾に虐待され苦しんでいる外国人妻との出会い。彼女たちのために、駆け込み寺的な宿泊施設を作りたいと思うようになったのが、きっかけだった。彼女たちは、生活の安定と生きがいを求めて、技術や、資格を身に付けたいと願っていること。職業研修所も欲しい。
 在日外国人の7割が一人暮らしで、とてもさびしがっており、心のふるさとを作りたいということも、避難所を目指す一軒家の確保に情熱を注ぐ一因ともなった。
 渡日子弟の教育問題も見過ごせない。渡日の小中学生の大半が、日本語による授業を十分理解できない。その補習ができる拠点と人材が、必要不可欠である。
 こうした思いは、ただ単に外国人を甘やかせたり同情するのでなく彼ら一人ひとりが自分の存在価値を認め、自信をもち、自立する為のサポートであると考えている。
 日本人に泣かされる外国人妻を、これ以上増やしてはいけないし、外国人による犯罪がこれ以上起こってもいけないし、起こさせないだろう。夢を持ち渡日した隣人を反日にしてはならない。
 そのために、日本人も外国人も心を開いて話し合うことが先決で、そのための出会いの場所であり、交流の場が必要なのだ。
 一時は誇大妄想かもしれないと、自分自身を笑ったこともあったが、大勢の仲間の協力を得て、今日こうして国際交流センターを設立することができた。何もかも幸せに思えて、周りの人々と目に入る全ての物に心から感謝する気持ちでいっぱいになった。

第2章 任意団体設立から法人設立まで

任意団体「ふじみの国際交流センター」設立

1997年8月、常時活動しているスタッフを委員とする運営委員会を発足させ、センターの運営をしていくことになった。

運営委員 野元弘幸・大本慎吾・河原淳子(浦和市)・石井ナナヱ・青木和雄・阿澄一昌・康子・高橋智子(大井町)・梶加寿子・荒田光男(三芳町)柏原麻利子・庄子一雄(上福岡市)岩田仁・岩田ひさよ(富士見市)宮川めぐみ(港区)

運営委員会は毎週土曜日に開かれ、活動内容・方針の討議を行い、全員情報を共有してセンターの運営を行うことになった。  12月より、センターの規約、組織、役員等について協議をはじめ、人格のない任意団体「ふじみの国際交流センター」設立の準備を開始した。  98年4月26日、上福岡市西公民館で設立総会を開催し、規約の制定、役員の選任を行い、任意団体「ふじみの国際交流センター」として正式に発足した。総会後の第1回運営委員会で代表に野元弘幸、副代表に石井ナナヱが選任された。また、センターの運営を担当する12名の常任運営委員が選任された。  総会後の祝う会には100名以上の方が出席した。中国帰国者定着促進センター教務課長小林悦夫氏による「中国帰国者の動向と市民活動への期待」と題した記念講演があり、その後タイ、フィリピン、台湾、中国の料理を囲みながら、上福岡の「弥生会」の歌と踊り、タイの民族舞踊、国際子どもクラブの人形劇の披露、更にフィリピンの民族衣装の紹介等を楽しんだ。  設立とともにはじめた会員募集は、5月初めの時点で79名の登録があった。

設立当初の事業活動

 センターの仮オープンから任意団体設立までに開始した活動と新たに実現していきたいと考えている事業は次のとおりであった。

(1) 交流事業  チャタ-ボックス  97年8月センター仮オープン後第1回が開かれた。以後、第2日曜日は茶話会、第4日曜日は外国料理を楽しみながらの交流会として定期的に開催することになった。  (2) 情報提供事業  「インフォメーションふじみの」の発刊  97年8月、7ヶ国語の情報誌第1号を発行し、以後センターの顔として月刊。 緊急時の連絡システムとして東入間青年会議所が計画していた「いるま野FM」への参加が検討されたが、その計画自体の進展なく、現在は凍結中。  (3) 学習活動  国際子どもクラブ  97年8月、ダブルの子(片親が外国人の子)と日本人の子を集め、補習授業や遊びを通して交流させる目的でスタートした。  ことばの教室  外国籍の人たちに日本語を教え、外国人から母語を教えてもらう場を提供する。  定例学習会  国際交流・国際協力のためのスタッフの学習会で、月1回開催した。現在中断。  国際図書室  外国の図書を集めた図書室を開設する計画があったが、具体化はしていない。  (4) 生活支援事業  生活相談・通訳  外国人を含むボランティアによる生活相談がスタートした。  仮宿泊施設の提供  いろいろな事情で家を追われた外国人のために2階の一部屋を使いシェルターとした。  ソーイングクラブ  外国人妻のための技術・技能研修を目的に、洋裁を教えるソーイングクラブが98年3月にスタートした。  (5) 緊急時対策事業  災害救援国際ボランティアチームの結成  準備会を発足させ、1~2度学習会を行ったが、その後中断したままである。  (6) センターニュースの発行  センター設立への賛同者や会員への情報提供を目的に,12月より「ふじみの国際交流センターニュース」を発刊した。
第1回通常総会から法人設立まで

 1998年3月に特定非営利活動促進法(NPO法)が成立し、同12月1日から施行され、民間団体が法人格を取得する道が開かれた。センターは任意団体設立当初から法人格の取得を目標にしていた。
 10月から、NPO法について勉強会を開き、運営委員会で設立の是非について討議を重ねてきた。センターの財政基盤が不安定なことから時期尚早との意見や法人格までとる必要はないとの反対意見もあったが、多数意見で法人設立の議案を通常総会に提出することに決定した。
 1999年5月23日、第1回の通常総会がセンターで開かれた。会員総数132名の内、出席者は書面表決者を含め過半数となり成立。事業報告書及び収支決算書が承認された。
 法人設立の議案については一部の会員から反対意見が表明された。そこで、更に運営委員会で十分論議の上決定することになった。
 7月から小委員会(委員:石井、斎藤、松尾,荒田の4名)を設置した。小委員会案を運営委員会に諮り、数度の修正を行い、成案を得た。
 10月11日、特定非営利活動法人(以下NPO法人)設立総会を開き、同15日法人認証を埼玉県に申請した。
 2000年1月11日埼玉県よりNPO法人認証(県内で20番目、国際協力の分野では初めて)が決定され、同月18日付けで浦和地方法務局川越支局で登記を完了した。なお、NPO法人取得にあたっては、県民生活課や法務局の指導のみで、特に専門家の手を借りずに、全て自前で行うことができた。
 法人設立総会では、理事として2市2町からそれぞれ各1名の理事を選出し、総会後の理事会で、理事互選により石井ナナヱが初代理事長に選ばれ、法人設立後正式に就任した。
 また、法人の実質的な組織運営及び業務執行は運営委員会で行うこととし、運営委員会は理事と総会で選出される運営委員をもって構成することになった。運営委員にはセンターで活躍している18名のスタッフが選任された。また、監事には沼田伊久俊と大島博幸が選任され,野元代表は顧問に就任した。

理事:岩田 仁(富士見)・庄子一雄(上福岡)・石井ナナヱ(大井)・荒田光男(三芳町) 顧問:野元弘幸
運営委員:青木和雄・秋葉雅史・阿澄一昌・阿澄康子・岩田ひさよ・及川瑜珊・小原知子・梶加寿子・小林嘉男・斎藤信夫・高橋郁子・西山正浩・樋口清作・福田明男・松尾恭子・森田ビラワン・柳川紘子


○続きは、「ふじみの国際交流センター17年間の軌跡」(仮) 荒田光男(ふじみの国際交流センター理事)著をお読み下さい。お求めはこちらから